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街あるきコース紹介

福岡・博多をつなぐ歴史めぐり

歴史・文化・グルメ約2時間中央区・博多区
福岡と博多の両方の町の歴史をテーマに、川端商店街や中洲市場(明太子の「ふくや」創業の地がある昔ながらの中洲の通り)などを巡ります。
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---1,000円
市役所跡
福岡市中央区天神
福岡市営地下鉄「天神駅」より徒歩2分
「福岡市役所入り口」信号前
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福岡市が誕生したのは明治22 年(1889 年)4月1日のことです。このとき市役所があった場所を示しています。当時の人口は5万人でした。
水鏡天満宮
福岡市中央区天神1-15-14
福岡市営地下鉄「天神駅」より徒歩5分
092-741-8754
水鏡天満宮
九州最大の繁華街「天神」の地名は、天神様を祀るこの神社に由来。 建ち並ぶオフィスビルの谷間にひっそりと建つ水鏡天満宮は、天神様こと学問の神様・菅原道真を祀っています。 大宰府に左遷された菅原道真が、憔悴した自分の姿を川面に映したことから「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」や「容見天神(すがたみのてんじん)」と名がついたと言われています。 当初は今泉にあったものを、江戸時代初期に初代福岡藩主・黒田長政が、福岡城の鬼門にあたる現在地に東の鎮守として移しました。
原田種夫文学碑・ブラジレイロ跡
那珂川に架かる西大橋の中洲側たもと
市営地下鉄「中洲川端」駅から徒歩約5分
西鉄バス「東中洲」停留所から徒歩約3分
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この碑には、原田種夫の「人間」と題された詩が刻まれ、平成9年3月に除幕。原田種夫は明治34年(1901年)3月16日、福岡市春吉に生まれ、博多の街を愛し、那珂川畔を愛しました。地方と中央との交流を図り、まとめ役として奔走したので、九州文壇の黒子と呼ばれ、「九州文学最後の文士」として粋な着流しに雪駄姿で、「ハラタネ」さんと親しみを込めて呼ばれていました。 また、ここにあったコーヒー店「ブラジレイロ」は昭和9年4月に開店。原田種夫が「道の両側の喫茶店からはジャヅのレコードが響いて来る」と書いているように、その時代では珍しい喫茶店がいくつかあり、常に原田種夫他文化人が集っていました。空襲がひどくなり、延焼防止の空白地帯を作るために強制閉鎖され、戦後、店屋町に移転しました。
福博であい橋・三人舞子像
福岡市中央区西中洲6
市営地下鉄「中洲川端」駅から徒歩約7分
西鉄バス「東中洲」停留所から徒歩約5分
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福博プロムナード(散歩道・遊歩道)計画の一部として架設された歩道橋。那珂川をまたいで博多区中洲と、旧福岡県公会堂貴賓館のある中央区西中洲とを結ぶ、全長78.2メートルの橋です。 武士のまち「福岡」と商人のまち「博多」が出会う場所ということで、「福博であい橋」と命名されました。 橋の途中にあるパラソルには、福岡の民謡「黒田節」の世界をイメージした杯と槍をデザイン化して取り入れるなど、趣向を凝らしています。ベンチやガス灯、花壇なども設けられ、福博のまちの新名所となっています。 福博であい橋の中洲側たもとに三人舞妓銅像があります。福岡県無形文化財認定保持者だった博多人形師の小島与一が、パリ万国現代装飾美術工芸博覧会で銀賞を受賞し、博多人形を一躍全世界に「ハカタ・ドール」として知らしめた作品をモチーフにしたものです。
人形小路
福岡市中央区中洲
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戦災の後、戦後いち早く復興した中洲の飲食街で今でも昭和の雰囲気を残した街です。正式な住所や地番名でなく、昭和41年2月の町界町名変更まで博多部中に数多く溢れていた通称=自称=俗称町名のひとつ。博多には「○○小路」はいくつかありますが、いずれも読みは「しょうじ」で「こうじ」ではありません。
中洲市場・ふくや
福岡市博多区中洲2-6-10 
南新地バス停下車 徒歩1分
092-261-2981
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明太子(めんたいこ)は、元は韓国で食べられていた「たらこの辛子漬け(明太)」がオリジナルのようです。日本では、昭和初期には下関で既に、現在の辛子明太子と同じような物が作られていたようですが、よく知られるようになったのは、戦後、引揚者だった川原俊夫(ふくや創業者)が、中洲市場で日本人向けの味にアレンジして1949年(昭和24年)から販売してからです。当初はなかなか売れなくて、たれの工夫を重ね苦労の末、今の味にたどり着いたそうです。 「明太子」という名前は、韓国語でスケトウダラのことを「ミョンテ」と言って、韓国の漢字語で「明太」と表記し、明太の子供ということで「明太子(メンタイコ)」と川原氏が名付け、それが一般に広まりました。 また川原氏が製法特許権を取らないで、あえて博多の同業者に作り方を教えて広めたことで、博多名物として定着していき、さらに1975年(昭和50年)に、山陽新幹線が博多駅まで開業したことで、博多名物として明太子の名は全国に知られるようになりました。
作人橋(博多橋)
福岡市博多区 中洲 と 川端商店街の間
地下鉄「中洲川端」駅下車 徒歩5分
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江戸時代、宝歴元年(西暦1751年)頃に中洲で畠を作っていた小作人達が、その必要性から、役所に頼らずに金を出し合って、これまでの粗末な丸木橋から丈夫な橋を自分たちの手で作ったので「作人橋」と命名されました。この橋は数回架け替えられ現在は「博多橋」と改称されています。 この近くには川丈旅館の前に「五足の靴の文学碑」があります。 その碑は、若き北原白秋たちと九州を旅行した時を懐かしく思って作った、 吉井勇の歌 「旅籠屋の 名を川丈と いひしこと  ふと思い出し むかし恋しむ」
川端商店街
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地下鉄「中洲川端」駅下車 すぐ
--- 有(有料)
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博多でもっとも歴史がある商店街。「イニミニマニモ」や「博多座」から、「キャナルシティ博多」、「櫛田神社」までをつなぐ約400mのアーケード通りには、約125店舗が軒を連ねています。商店街の中にあるぜんざい広場には、博多祇園山笠の飾り山も展示されて、川端ぜんざいが味わえます。 商店街の組合は、商店街を横切る北側の道を隔てて「上川端商店街振興組合」と「川端中央商店街振興組合」とに分かれています。
カフェブラジレイロ
福岡市博多区店屋町1-20
地下鉄「呉服町」下車 徒歩5分
092-271-0021 ---
--- 日曜・祝日(5月のどんたく開催時は不定休) [平日]09:00ꀀ
福岡で現存する中で一番歴史のあるカフェ。創業は昭和9年。現オーナーのお父さんが初代オーナーです。当時の場所は東中洲にあり、作家の火野葦平氏や原田種夫氏などの九州文学の面々が集い、福博の文化的サロンとして親しまれていました。戦時下となった昭和19年、建物強制疎開で立ち退く事になり、戦後に博多・奥堂で再興、後に現在の店屋町に移りました。福岡市立博物館には戦前の店舗内を再現した展示スペースがあるなど福岡の歴史の1ページを彩るようなお店。 こだわりの珈琲は全て自家焙煎。本格テイストとプロが織りなす香りを存分に堪能できます。 また、手間ひまかけたデミグラスソースで煮込んだハッシュドビーフやメンチカツなど、こだわりが作る洋食もまさに本物の味。特に一番人気はオムレツライスです。 この店では、ハンバーグは「ハンブルグステーキ」と呼びます。